堺貼り紙・看板散歩/Is Big Brother Watching You?
道端に打捨てられた防犯カメラのカヴァー(?)。何となくおかしくてわびしい。場所は国道310号線沿い、狭山に足を踏み入れてしばらく南に下ったあたり。
防犯カメラ本体は周囲に見当たらなかった。仮に、本体に装着されていたとしても、「防犯カメラ作動中」の文字のサイズはいささか小さすぎやしないだろうか。もっと盛大に書かなければ、侵入者に気づかれず仕舞いになってしまうんぢゃないか、とは余計なお世話か。
少しばかりのビニルハウスと畑が視野に入るあたり、全然知らなかったのだが、ひょっとして、昨今流行りの作物荒らし被害はこんな身近にまで及んでいたのか、と驚きもし憤然ともしたのだが……。
後日、すぐ近くで見つけた掲示。たぶんこの看板近くの防犯カメラから上の写真のカヴァーは外れたのだろう。
防犯カメラの目的は勝手なバイクだか自転車だかの駐輪を防ぐためだったのか。いやしかしそれにしたところで、こんなに低い位置の警告では駐輪しようとする者の目にはとまりにくいのではないか。カメラを設置しなければならないとなると、たぶん土地の所有者がいない夜間のことであろうかと想像されるが、そういう場合はなおのこと。ヘッドライトが当たり視野に入ったとしても、「気づきませんでした」とか何とかの言抜けは可能なのではないか。なぁんてなのも余計なお世話かしらね\(^o^)/
しかし、このときもカメラ本体は周囲に見当たらなかったのだ。
あるんだろうか、本当に。
立ち読み課題図書、その他
歳のせいなのかどうか、今年は右手指の爪がバリバリ割れてギターが弾けない折がしばしば。いっそ指にもピックをつけますかね。10代の時分はナショナル社ステンレス製のフィンガーピックを使っていた*1。一旦慣れるとさほどの違和感はない。弦に当たって多少耳に障る音がするのが難点か。そのへんもさほど気にならないとかで、最近ではアラスカピックの評判がいいようだ。けれど、少々値が張るのがボンビーなアテクシには気になる*2。こういうところでケチってはいかんなぁと思いもするのだけれど……。
φ(..)メモメモ。1月27日刊行予定。
今どき、こういう幻想短篇の類を読んで心打たれてため息をついているようでは、アテクシも焼きが回ったっちゅうことですかね\(^o^)/
小角 は十七歳のとき、つくづく人間稼業 がばかくさくなった。(これ以上、人間を続けるのは、ムダというものだろう)
思案のすえである。これ以上人間をしていても、やがて大人になり、老人になるよりほかは、手のないことだ。とんびにも、
猪 にもなれやしない。せめてとんびにでもなれればどんなに素晴らしいことであろうか。幼いころ、埴安 ノ池の岸辺で、秋の空に舞うとんびをみながら、ああ、あれがいい、とんびになってやろうと決意した。松の梢 にのぼり、あおい空をみつめながら、とんび、とんび、おれはとんびだ、心気をしずめ、一途 にそう祈念していると、当然のことだが、かれの両の腕がつやつやとした翼に変じはじめ、胸に焦茶の羽毛がそよぎはじめた。もうよかろう、折から来た一陣の風に、かれはすばやく乗った。しかし、どこに誤算があったのか、かれはうなりを生じて松の木の下へ落ちた。落ちた拍子に根株で脾腹 をいやというほど打ち、たちまち気をうしなったが、ほどなく夜露でさめた。あわてて手足を探ると、やはりただの人間であったのには、おどろいた。しかし、これしきで絶望するほどなら、かれもただの俗物であろう。そのころかれは、大人になるということに、もっと素晴らしい希望をつないでいたのだ。大人になれば、とんびにも魚にも、なろうと思えば、思うざまになれるのではあるまいか――。それが、大変な買いかぶりであったとは、十七になってやっとわかった。人間なんて、どこまで行っても芸のないばかげた存在だ。おれはこんなばかげた存在から、どうあっても脱出せねばならぬ。死ぬんじゃない。生きて、脱出する。……小角は決意した。「睡蓮」冒頭
主人公小角aka.
集のタイトルと一篇のタイトルとで見当がついちゃうかもしれないけれど、何らかの意味で花をモチーフにした作品を集めた幻想短篇集。解説の菅野昭正が書くように《妖異、怪奇を語りながら不気味なおどろおどろしさどころか、それよりむしろどこか
*1: さるサイモンとガーファンクルのギターコピー譜集末尾に「ポール・サイモンになりたい人へ」という頁があって、ポール・サイモンの使用フィンガーピックとして紹介されていたもんだから、ミーハーなアテクシとしては使わないわけには参らなかったのだ。ただし、同じく紹介されていた鼈甲のサムピックは哀れな小遣い銭では手が出なかった\(^o^)/
*2: 少々高いというだけならどうってことないと気張ることもできるけれど、フィンガーピックはしょっちゅう紛失しちゃうものなのだ。うー。