尾骶骨の行方

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所用の道すがら、2015年頃だったっけか。

 先日未明の夢。

 

 場所は町屋のときわ食堂か。店内の混み具合からすればたぶん夕刻。

――とうとう我が国で3例目の尾骶骨を持たない赤ん坊が生まれました」

 報道番組の中年のアナウンサーが、興奮を隠しきれない調子で、しかし、読み誤りのないようにということか、うつむき気味に原稿から目を離さず、いつもよりいくらか早く話すテレビ画面のようすに、店内の呑助たちの目も釘付けになっている。

――世界ではすでに24の事例が確認されており、この半年の間の急増ぶりに様々な原因解明の努力が進められております」

 化学物質によってもたらされた畸形であるとか人類進化の新局面であるとか、それぞれの専門分野に引き寄せた解説を試みる科学者たちへのインタヴュー、尻尾の痕跡という獣性の象徴が失われたことを通して人類がいよいよ神性を獲得したのだと断言する何とかいうカルトの教祖、あるいは無責任な放言を口にする元政治家やタレントのコメンテーターたちもいつの間にやら番組に参加して、報道番組は徐々にバラエティ番組に姿を変えてゆくようだ。しまいには『幼年期の終り』のラストを引き合いに、どういう理屈でだか「尾骶骨が消えたからと云って尻尾が生えてこない保証はない」というような与太を語る者まで現れる始末。

――バカげてるよね、慌てて考え出した答えなんて、当てにならないに決まっているよね。だいたいからにして……」

 狭いテーブルを共にしている*1、40代半ば過ぎと見えるスーツ姿の酔っ払いが酔っ払いらしからぬ醒めた意見を、誰にともなく独り言ちている。テーブルを共にしているのは他に僕以外いないのだから、ひょっとすると僕が話相手と目されているのかもしれないとは思うのだけれど、とくにこちらの返答を促すようすもない。

 たしかに番組に登場したあれこれは、いずれも話として陳腐であるかナンセンスであるかのどちらかであるような気もしたのだけれど、そういう見方も真理にたどり着けないおバカなヒトの営みとして無下にするものでもないのではないか、むしろ鼓舞するくらいのほうが、バカげた見方同士の淘汰に曝され磨きもかかり大したものに育っていかないとも限らない、とかなんとか、声に出さず考え始めたところで酔っぱらいが座った目つきでこちらを睨めつけ、「ちっ」と舌打ちし、

――バカが」

と一言呟いたのだった。まるでこちらの思考を読みでもしたようなタイミングだったものだから、こちらはたじろぎうろたえるばかり。

 

 そこから初めて男との遣り取りがあったような気もするのだけれど、以降の成り行きは何も記憶に残っていない。たぶん、大した揉事にはならなかったのではないかと思うのだが。

 

 どうということのない夢なのだけれど、見てからというもの何度となくその断片が思い出されて変な気分になる。というわけでお祓い的にまとめてメモしておく。

 それにしても「尾骶骨がなくなる」とはどういうことなのだろうか。脊椎下部の尾骶骨と呼ばれていた部分の骨がなくなり数が減ってしまうことなのだろうか。それとも、脊椎全体の骨の数は変わらないのだが、位置関係や形状が変化して、もはや尻尾の跡とは見えないものに成り果ててしまうことなのだろうか。

 なんてなことは、気にしてもまったく意味がないに違いないのだけれど。

 

 

*1: 共にしていたと思うのだけれど、位置関係がよくわからない。正確に思い出そうとしてみると、実はそのテーブルに僕はついておらず、天井にでもへばりついて鳥瞰的に店内を見渡していたような気もする。