ヒトの目ってやっぱ節穴だよなぁ/「論文査読者は特定の研究成果に好意的になりがち?」

20130221114731

山手線車内

 「状況」もちゃんとお知らせ願えるとありがたいんだがなぁ。うーん。現生人類のやらかすことっちゅーのは、しばしば理解できないので困る。

 

 日本語の「わかる」は、「分ける」に由来するという話がある。その真偽は知らないけれど、まぁ「わかる」といえば「違いがわかる男」ってなもんで、違いがわかるってのは何となくエラそう。しかし、ひょっとするとありもしない違いがわかっちゃうのが僕たちの避けがたい思考の癖だとすると、さて。そういうことを考え込んでしまわざるを得なくなってくるのが、「査読者は「違いの出た研究」に好意的になりがち?」(学術英語アカデミー)hatebu*1の内容。

 エントリは、《AとBが同じである》と語る論文よりも《AとBは異なる》と語る論文のほうが高く評価される傾向があるという話。しかも、優れた査読者であってもそうした傾向からは逃れられないというんだからなぁ。うーん。以下引用は、2009年に Natureで取り上げられた研究の結果だそうな。

この実験では、まったく同じ論文の結果だけを「AよりBが優れている」としたバージョンと「AとBは同じだ」としたバージョンの二種類を作成し、複数の人に査読してもらいました。ここで注目したいのが、その論文の実験方法には、いくつかの小さな課題やミスが含まれていたということです。査読者は、このミスに気がついたでしょうか?

「AとBは同じだ」という結果の論文を読んだ人達は、期待通りに実験方法の小さなミスや課題に気がつき、色々な改正案を提案しました。ところが、同等に優れた査読者であるはずなのに、「AよりBが優れている」という結果の論文を読んだ人達は、これらのミスや課題にまったく気がつかなかったのです。つまり、査読者も人間。「物事の違い」をよしとし、鵜呑みにする傾向があるということになります。

 詳細はわかんないけれど、こういう傾向が、客観的実証的、そして論理的思考の訓練を、僕たち一般人よりは遥かに積んでいることが期待されるヒトたちにおいてさえ共通して見られるとすると、たぶん僕たち一般人にはなお一層強く見られるんぢゃないかって気になる。もしそうだとすると、この傾向を自覚してかからないと、割と簡単に誤った判断を犯すことになりかねないってことぢゃないか。

 たとえば現代文なんかの受験勉強で、評論の読解に際して文中に登場する対比・対立の関係とか二項対立とかに気をつけなきゃいけないってなことを叩き込まれたヒトも多いと思う。あれも要するに《AとBは異なる》ってパタンで組み立てられた文章が多いからだ。云ってる内容が正しいかどうかはさておき、そういう組み立てを持った文章は、何となくもっともらしく見え、少なくとも出題者さんの頭には説得力のあるものと見えるってことなんだろう。

 あるいは、小論文なんかでも少なくとも模試レヴェルであれば、主題が抱え持つ2つの性格矛盾を指摘しつつそういう矛盾を抱え込んだダイナミックななんとかかんとかと論考をまとめるとほぼ確実に成績が上がる。たとえば、《文芸批評は、一方で作品への愛に貫かれていなければならず、また他方で主観を離れて冷静沈着に作品を解剖する手腕を持たなければならない。つまり、パトスとロゴスの矛盾を孕むダイナミックでパラドキシカルな営みなのであーる》みたいなことを書いておけば、模試の採点者レヴェルならたいていイチコロだとかいうふうな具合。他にも「違い」を利用する読者たぶらかしの手口はいくらでもある。

 そんなこんなで、《AとBは異なる》という対比的な思考は大切なものではあるんだけれど *2、このタイプの文章、その具体的な内実以上の説得力を世の中で発揮しているってことは、実際結構あるんぢゃないかな。

 

 論理心理学ってなのはないのかしら?以前 『影響力の武器』 を取り上げて、いかにヒトが非論理的にものごとを捉え、考えてしまうかを紹介したことがある。他にもいろいろあったような気がするけれど、まぁ細かいことはどうでもよろしい*3。何にしてもヒトは冷静に論理的に実証的にモノを見、考えているつもりであるその最中においてさえ、心理的なバイアスみたいなものに左右されて結論を出しちゃうものなのだ。

 で、そういうことを考えると、ひと通りの論理的な読み書きが大切なのはいうまでもないとして、論理的な読み書きをめぐる心理学みたいなものをじっくり考えてみないと、論理的な読み書きの習得なんてなものは実のあるものにならないんぢゃないか。

 

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 己の理性的な判断への懐疑なしにものを考えるってなのは、野蛮なことだとすら思えてくる。少なくとも『影響力の武器』の正編は現代人必読といっていいんぢゃないかなぁ。

 

*1:【復旧時註】オリジナルのエントリを掲載した時点では、同じタイトルと内容で「英文校正エナゴの学術論文ブログ」にて公開されていた。どういう経緯で現在の場所に落ち着いたかは未確認。

*2: 「比較対照ってやっぱ重要だと思うなぁ」hatebu「その『わかりやすさ』、ちょっと疑ってみよう」hatebu

*3:cf. 「正確であること、論理的であること、実証的であることが至上目的なわけぢゃぁない、よねぇ?」hatebuあたりが「与太」ん中では読みやすい、かな?