小論文対策として読む、国語屋稼業先生の「中高生のための内田樹」

 「小論文の道具箱 カテゴリー」hatebuのいくつかの記事では、表現はいろいろだけれど、自分なりの偏りを大切にしろ*1とか好きな書き手さんならどう考えるかを思い浮かべながら問題に向かえ*2とか云ってきた。とりあえずは借り物であっても構わないのだけれど、自分なりの価値観なり世界観なりみたいなものを持っていたほうが、考えるべき問題点や議論のいとぐちがずっと掴みやすくなるという至って実用的な理由からだ*3

 ところが、とりあえずの借り物であるにせよ、そういう「観」を見つけられないという受験生は結構多い。そういう人にお薦めなのが、国語屋稼業先生のブログの「中高生のための内田樹(さま)」カテゴリーhatebuの記事だ。内田 たつるの文章からの抜粋に簡単な読解問題がついてくる、それだけのシンプルな構成がいい。

 理由は2つ。第一に内田 樹という著者の人選。「与太」常連さんの中にはこの人選が気に喰わない方もいらっしゃるだろうことは容易に想像できちゃうけれど、少なくとも受験という世知辛い事情からするかぎりまずこの点は動かない。たとえば、「2015 年度入試現代文頻出著者一覧」(代々木ゼミナール、PDF)hatebu*4によれば、内田 樹は国公私立大学の現代文で、河合隼雄河野哲也村上陽一郎と並んで2位につけている*5国公立大学に限れば1位。頻出著者の顔ぶれはその時々入れ替わるものではあるけれど、その上位に顔を出すとなれば、要するに何らかの意味で大学の先生方が受験生世代に読んでいてほしいと考えるタイプの文章の書き手さんであると見て大過ない。そういう書き手さんの思考や語彙に馴染んでおくことは、現代文はもとより、小論文対策としても有益だろう。

 第二に、簡単な設問が読み筋を考えるきっかけになること。第一の理由だけであれば、頻出著者の著作を読めば済む。実際それで済む受験生だっている。でも、済まない受験生くんのほうがずっと多いのが現状ぢゃないか。慣れない書き言葉、馴染みのない語彙ばかりが面倒の元ではない。書かれたものにはそれなりのコンテクストが背後に控えている。そいつがわからないと、なんとなく話の中身の見当はついてもなぜそれが今切実な話題になるのかピンと来ない。ピンと来なければ頭に入らない。あるいは読みのツボみたいなものがすぐにはピンと来ないことだってあるだろう。ちょっとしたレトリックや論構成の工夫を読み落とすことで、話のおいしいところがわかんなくなるなんてザラだったりする。ましてや書かれていることを通して改めて世の中を見直すなんて出来ない。だから、読んではみたものの、通り一遍、字面以上の意味を受止められないままで終わってしまいがち。そういうとこいらへんを避け、一人の書き手のものの見方から捉え直す機会を与えてくれる体の設問がついているというのは、実は普段の読書からは得られない貴重なものなんぢゃないか。

 

 「中高生のための内田樹(さま)」カテゴリーhatebu、国語屋先生には申し訳ないのだけれど、最新のものから逆順に読み進めるのが個人的にはお薦めかな。最初のほうよりも最近のもののほうがなんとなくノリがイイ感じ。「復習」問題に先に出喰わしてしまったりもしちゃうのだけれど、細かいことは気にしない\(^o^)/。

 で、そこで語られる話が自分の目の当たりにしているアレコレを見る道具にならないかを考えてみるといい。仮に、「中高生のための内田樹(さま) その30」(国語屋稼業の戯言)hatebuを読んだ後で「事実への意味づけってのが大事」(日々の与太)hatebuに目を通したとしよう。たとえば、後者が解説(もどき)で示している「ウチ/ソトの別け隔て」が本当に伝統的な思考様式・行動様式として存在するなら、前者の語る「大衆社会視野狭窄」は日本においてより深刻なものになる可能性があるかもね、という思いつきを得られるかもしれない。改めて考えるまでもなく何らかの意味で同質性が高い「ウチ」が「みんな」の基準になりやすいだろうからだ。そう考えたからといってそのままでは答案作成に役立たないかもしれないし、そういう見方が妥当なものかどうかは別途検討を要するかもしれないけれど、とりあえず仮説・発想のレパートリーは増える。あるいは、うまく適用出来ずになにがしかの修整を加えたり、修整がうまく行かず疑問として心に留めることになるかもしれない。でもいずれにしても、そういう積み重ねが自分のものの見方を作ることになる。

 そういう作業には何となくテキストに目を通して済ませるのではなく、意識的に言葉を咀嚼する一手間がどうしても欲しくなる。設問を解くのはそのためのついでの作業ということでもいい*6。少々解答例と答えが違っていてもそれほど気にしない。とりあえずがんばって考えて答えを出したことを以て善しとしても構わない。それでも、本格的な読書体験を持ったことがない多くの受験生にとって国語屋稼業先生の用意してくれているエントリ群は、自分なりの世界観を作るに都合のいい素材になるんぢゃないかと思うなぁ。

 

 書きながらなんとなく思い出したのだけれど、僕が受験した時代には頻出著者の文章を出典とする現代国語*7の問題を解きつつその著者についても学べちゃうのをウリにする小冊子タイプの学参ってあったよなぁ。小林秀雄とか亀井勝一郎とか(だったっけかな?)の。僕は一冊も取り組んだことがなかったのだけれど\(^o^)/、あぁいうの流行らなくなっちゃったのかな。今は目にしないよなぁ。編集の工夫によっては、受験生に限らない需要の掘り起こしとか出来そうな気もするけれど、そういうもんでもないんですかね。う~ん。

 

小林秀雄に強くなる本

小林秀雄に強くなる本

 

 おぉ。79年刊行だから*8、僕が目にしたのとは違うみたいだけれど、こういうやつ、昔はあったんだよなぁ。マーケットプレイス価格が結構なお値になっているのは、やっぱりこういうのをおもしろいと思うヒトがそれなりにいらっしゃるということぢゃないですかね。そうでもないですかね。う~ん。

*1:e.g. 「自分の関心の在り処をたしかめよう」hatebu

*2:e.g. 「事実への意味づけってのが大事」hatebu

*3:こういうあたり読書家くんが自然と小論文で有利になる由縁でもある(んぢゃないかな)。

*4: 「大学入試 頻出 著者」でググると検索結果トップに出て来る。

*5: ちなみに1位は鷲田清一。内田 樹は小論文の課題文でもちょくちょく目にする。具体的に数えたわけではないけれど、それほど多くの仕事をこなしているわけではない僕の目にも入ってくるということは、頻出していると見ていいんぢゃないかな。

*6: 国語屋稼業先生、ごめんなさいm(_ _)m。

*7: 昔々の「現代文」の呼称。

*8: なぜどうしてここが「だから」なのかは、これを註せず、勘ぐるべからず。