蟬とか

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 近頃は木の幹よりもこういう場所で抜け殻を見かけることが増えているような気がする。記憶違いかもしれないが、場所が変わっただけではなくずいぶん低い場所になってしまったような気も。羽化する高さにどんな意味があるのか/ないのかは知らない。安全を考えれば、捕食性の地上動物の射程から離れ、鳥たちの視界を遮る葉の茂った木の上部のほうがいいように思えるが、木以外では登りにくいということだろうか。それとも地上の動物たちが減った結果、高く登らない個体のほうが余計なエネルギー消費がなくて生存に有利だとか何とかでより多く生き延びるようになったとか?

 

 そもそも、実家界隈の蝉たちの種類もずいぶん様変わりしている。今を去ることざっと40年位前までであれば、この時期の蟬といえばまずニイニイゼミと相場は決まっていた。本当はアブラゼミクマゼミを捕まえたいと思っていても、実際に捕まるのはニイニイゼミばかり。ところが今や子供時代には高嶺の花みたいなものだったクマゼミばかりが幅を利かせている。ニイニイゼミはほとんど見かけないくらいに減ってしまったようだ。ツクツクボウシは8月後半ともなればまだ声は耳に出来るだろうけれど。

 やはり気候変動のせいかしら、と考えてしまうのだけれど、実際のところそう考えてもあながち間違いでもないようだ*1

 

 関係ないけれど……。

 蟬は日本人にとって夏のシンボル、風物詩だというのだけれど、そういうものが詠み込まれていてよさそうな俳句の類、考えてみると「岩に沁み入る」くらいしかパッと思いつくのがない。もちろん、詠み込まれる句がないわけはない*2のだけれど、だれもが知っているものとして当たり前に話が出来る句となるとこれしかないんぢゃないか。それがベラボウな秀句だというのはわかるのだけれど、日本人にとっての「夏のシンボル」っちゅうくらいなら、も少し話にのぼせ得る句があったっていいような気がする。それともホントは、アレもあればコレもある、知らないお前の無教養が悪いのだ、ってなところなのか。それはそれでありそうな気がしないでもない\(^o^)/

 

 ついでながら、芭蕉のこの作については有名な論争がある。鳴いている蟬はニイニイゼミなのかアブラゼミなのかというヤツだ*3

1926年、歌人斎藤茂吉はこの句に出てくる蝉についてアブラゼミであると断定し、雑誌『改造』の9月号に書いた「童馬山房漫筆」に発表した。これをきっかけに蝉の種類についての文学論争が起こった。1927年、岩波書店岩波茂雄は、この件について議論すべく、神田にある小料理屋「末花」にて一席を設け、茂吉をはじめ安倍能成小宮豊隆中勘助、河野与一、茅野蕭々、野上豊一郎といった文人を集めた。

アブラゼミと主張する茂吉に対し、小宮は「閑さ、岩にしみ入るという語はアブラゼミに合わないこと」、「元禄2年5月末は太陽暦に直すと7月上旬となり、アブラゼミはまだ鳴いていないこと」を理由にこの蝉はニイニイゼミであると主張し、大きく対立した。この詳細は1929年の『河北新報』に寄稿されたが、科学的問題も孕んでいたため決着はつかず、持越しとなったが、その後茂吉は実地調査などの結果をもとに1932年6月、誤りを認め、芭蕉が詠んだ詩の蝉はニイニイゼミであったと結論付けた。

ちなみに7月上旬というこの時期、山形に出る可能性のある蝉としては、エゾハルゼミニイニイゼミ、ヒグラシ、アブラゼミがいる。

閑さや岩にしみ入る蝉の声 - Wikipedia hatena bookmark*4

 このあたりはたしか北杜夫『どくとるマンボウ昆虫記』にも話が出ていて、茂吉は実際に現地でアブラゼミの鳴くところを確認したうえで、「閑さや」にふさわしくないとして自説を誤りを認めたとかなんとかだったふうな記憶がある。

 中学時代、『昆虫記』で初めて知ったこの話に*5、句の蟬は五月蝿いクマゼミに違いないと決めてかかっていた僕としては、まったくもってどいつもこいつもわかっていないとしか思えなかった。

 たしかに現実にはニイニイゼミだかアブラゼミだかが鳴いていたのかもしれない。しかし、それは句成立の契機以上の意味はないんぢゃないのか。たとえば「荒波や」の場合、荻原井泉水が云っていたように、芭蕉が現地に赴いた折には佐渡方面に天の川が見えなかったとかなんとか。謂わば嘘っぱちなわけだけれども、嘘っぱちの言葉の布置によってこそ句は際立ったものに仕上がっているわけだろう。翻って、現実に閑かに鳴くニイニイゼミを詠んだって面白くも何ともない。岩に沁み入るには、いささかならず音圧不足。ここは耳を聾するばかりの蟬声せんせいに取り囲まれてこその逆説的な「閑さ」でなくてどうする、ってなもん。でなきゃぁ、「佳景寂寞かけいじゃくまくとして心すみゆくのみおぼゆ」なんて云えんぞぃ。寂莫とした光景と澄みゆく心の中にのみ「閑さ」はある。蟬声はそこに否応なく目を向けさせるものなのだ。

 芭蕉伊賀上野の出身なんだし、全国うろちょろ徘徊しもしていたのだから、クマゼミの五月蝿さくらい充分に知っていたはずで、知っていたなら使わないわけはない。彼の頭の中の「閑さ」がクマゼミによるものであったとして、何の不都合があるものか。観察と写生を主義主張して句をこしらえるにはまだ江戸時代は早過ぎるんだしぃ\(^o^)/。

 今でもそれほど懸け離れた考えは持っていない。ただこういう考え方はどうにも世の中に通じないことばかりは思い知っているので、たまにしか強くは主張しない。これだから現実はつまらんわい\(^o^)/。

 

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*1:cf. 「『昼夜問わないセミの鳴き声で寝れない』 気候変動と熱帯夜が招いた現象」(東亜日報) hatena bookmark

*2:cf. google:蟬 歳時記

*3: セミの鳴き声がよくわからないという場合は、「種類によってこ~んなに違う!いろいろなセミの鳴き声を聞こう」(子供の科学のWEBサイト「コカねっと!」) hatena bookmarkなどで確認されたし。

*4: 2019年8月9日閲覧確認。

*5: この話、自分で読んだだけではなくて、たしか3年生の折には国語の教科書にも登場していたはず。