本日の備忘録/Why it's almost impossible to lose things in Japan

 「どうして日本で何かを紛失するなんてまず無理なのか」。音声が日本語なので英語字幕がまったくわかんなくても、おおよその内容はわかるんぢゃないか。

 で、これが目に止まったのは、具体的な内容であるよりも「携帯電話なり財布なりを紛失したとしても、ホイホイそれらを取り戻せてしまう」のが「他所の国々とは異なる」ことだというあたり。

 日本では失せ物がほとんど必ず返ってくるとは巷間よくいわれることではあるけれど、交番を始点とするシステムの存在を重く見る観点はそれほど口にされるわけではない(んぢゃないかな)。遺失物取り扱いのシステムとなると、雑多なブツのあれこれを体系的に整理し、様々な問い合わせ条件に応じてブツへの素早いアクセスを可能にする必要がある。そうでなければ、失せ物のほとんどが一日で返せるわけがない。効率的で体系的な考え方というか発想というか、そのあたり、日本人の日常的伝統的な頭の使い方とは隔たりの遠いところのありそうなもの、てっきり欧米由来のものと思い込んでいたんだがぁ。

 日本独自なのかもしれないとなってくると、その1000年以上の昔からあったという「落し物に関する法律」の中身とその変化の歴史あたりが俄然気になり始める*1

 

 とまぁそんなこんなで、仮に、いかに「日本人の道徳心」が他国に抜きん出て高潔なものであったとしても、それが高度な効率性を誇るシステムを生み出し得るかどうかはまた別途検討されて良さそうな問題ぢゃないかしら? システマティックに問題解決に当たる方法論みたいなものって、普段の目にする日本的と称されるアレコレにはあんまりないんぢゃない? そうでもないですかね? うーん。

 

 あ、これは半ば以上どうでもいい話だけれど、「日本では100万円以上の落し物は決して珍しいものではありません」というのって、どの程度の話なんだろうか。だって、僕の人生を振り返ってみるかぎり、珍しいどころか一度もそんな結構なものに出喰わしたことがないんだもん。珍しくないのであれば、ぜひ一度といわず二度三度、よろしくお願いしたいものである\(^o^)/。

 

ふろく

 「珍しくない」といえば、もう一つ。

 たとえ100円玉一枚であっても親子で交番に届け出る光景は、今日でも……というのだけれど、本当かしら。個人的に思い出せるところでは、あまりいい思い出がない*2。そのへん、僕も親を引き連れて届け出ていれば、違った印象を持つことができるような応対があったんだろうか。

 

 あとついでながら、福島への言及も見逃せないことかもなぁ。3.11の直後にはヒトビトのモラルに従った行動のことがネットでは取り上げられ、「他国なら簡単に暴動の類が起きたんぢゃないか」みたいな意見が見られもした。でも、ここで登場する田村正博京都産業大学教授の言を信じるなら、福島では実際には犯罪が増加していたということらしい。簡単な言及だけだから、発言の正確さも含めてちゃんと調べ直したほうが良さそうなところか。とりあえず、ペンディングだけれど、気になるところ。ついでのついでに、阪神淡路大震災のときはどうだったのだろう。

 

 さらについでながらのネタを一つ。

 遺失物取り扱いの公助共助のアレコレに頼らず自助で、ということになると、今日では失せ物を見つけやすくする電子的なツールを使うことになる(cf. Amazon.co.jp「探しもの」による検索結果)。ところがドッコイ豈図らんや、それが完璧なストーキングのツールにも化けるというお話。上のヴィデオは最近のものなのだけれど、そういやぁ、すでに似たような話はあったっけか。

 と、これが昨年8月の報道。これは自動車の盗難に備えたGPS利用法が悪用された例ということになるけれど、紛失物探査のアプリと話は似たようなものだよね。

 だからどうしたという話はまだ何も考えていない。でも、昨今の防犯カメラの遍在化と合わせて考えると、結構面倒臭い話に持っていけるネタかもしれない。あくまでも技術的な観点だけからみれば、もはや都会ではプライバシーなどいくらでもホイホイ剥ぎ取ってしまえるものかもなぁ、みたいな。

 

 「井上陽水 - 「夢の中へ」 ミュージックビデオ」(Yosui Inoue 井上陽水、YouTube)、オフィシャル・チャンネルもので試聴可。

 

*1: 道徳心があればこそ法律ができるのか、道徳心の欠如から法律の必要性が生まれるのかは一考の余地がありそうな気がしないでもないしね^^;。

*2:cf. 「100円」