本日の備忘録/堺の公衆トイレ問題補遺

※ ヴィデオは本文ととくに関係ないですm(_ _)m。なんとなく堺つながりということで。通天閣の映像に堺のキャプションが出てたりしますけれど\(^o^)/

 

 中井正弘『南蛮船は入港しなかった――堺意外史』(澪標、2001年)を再読しているのだけれど、おかげでいくつかの疑問が解けた、というか、己の目の節穴具合、記憶力のポンコツ具合を再確認出来たぜぃ\(^o^)/

 「本日の重要問題/堺の公衆トイレ」 hatena bookmarkには《堺は戦前にはリゾート地として栄えていたのだし、観光地的な観点からそこいらへん(戦後の復興期に公衆トイレの便を図ること)が度外視されていいはずはなかったのではないかとも思える》というようなことを書いた。しかし、本書の「11. 堺大浜の料理旅館街」の以下の話を見る限り、そんなことなどまったく考えられなかったに違いないことがわかる。

 かつて、堺大浜と阪神間のリゾート地の集客争いは激しかった。いずれも戦災を受けたにもかかわらず、大浜だけが復活しなかったのはなぜかという疑問がある。それは、市の都市政策がずいぶん異なっていたことが大きい。堺市の戦災復興計画にリゾート地の復興はまったく考慮されていなかっただけでなく、復興事業完成の昭和40年*1(1965)の直前、すなわち30年代後半から重工業誘致の臨海工業地帯造成が大阪府によってはじまり、「茅渟晩霞ちぬばんか」とも称せられた風光明媚な海辺が失われたからである。堺市は、このとき人口100万人の国際的工業都市を目指した。しかし、これは戦後の高度経済成長期にはじめてとられた政策でなかった。すでに堺市では、昭和9年室戸台風以前から積極的な工業立市を目指していた。まず、許可を受けた埋立会社によって昭和3年10月に北公園のある北波止沖の埋立てが完成。続いて4年12月、南公園側すなわち旅館街の目の前の海岸が埋立てられ、このころから海浜リゾートゾーンが手痛い打撃を受け始めていたのである。さらに台風後にも市の要望を受け、大阪府による堺港の大築港計画が進めはじめられた。昭和8年(1933)4月に就任し、その後戦後の一時期を除き、30年近く市長職を務めた当時の河森安之介市長は、「本市の使命は、大阪市の生産地として工業立地・産業立地の理想をもって進む必要がある」と就任挨拶で述べている。さらに、臨海工業地帯の造成が進む昭和38年(1963)に市民憲章を制定したが、この中でも国際的工業都市を高らかに謳いあげている。

pp.182-3

 そういう「使命」ばかりが幅を利かせ、おまけに「『大阪の人は電車の中で、平気で子供に小便をさせる人種である』(谷崎潤一郎)」 hatena bookmarkってな具合では、公衆トイレの増設など期待出来そうもないということになっちゃうのかなぁ。う~ん。

 

 また、《しかし、1945(昭和20)年には3月13日から8月10日にかけて5次にわたる大空襲を経験している。聞くところによれば、単位人口あたりの投下焼夷弾数では大阪市内を上回っていた》云々あたりについても、本書に言及があった。「14. 直前の町並みと翌日に惨状を描いた画家 堺大空襲、大阪を超える濃密な無差別爆撃」から引いておく。

 堺空襲は、昭和20年3月13日の第一次、6月15日の第二次、6月26日の第三次と相次いだが、いずれも大阪空襲の一環として行われたと見られ、それほど大規模ではなかった。ところが、7月10日は、堺(ママ)人達にとって忘れられない日である。被災体験者にとっては、7月9日の真夜中という印象が強い。というのは、9日の夜半、B29、110機(『日本大空襲』月刊沖縄社・昭和54年)がまず和歌山を攻撃した。堺の人達は、南の夜空を見上げ、ラジオ放送を聞いて今日は和歌山だけの空襲と思った。しかし、日付が変わって、午前1時33分から3時6分までの間、約1時間半にわたって116機が次から次へと堺の中心部を襲った。サイパン・アイズレイを基地にした『アメリカ・第21爆撃機軍団の戦術作戦任務報告』(大阪空襲研究会訳・小山仁示監修)によると、「10000フィート(3000m)ないし11350フィート(3500m)の高度から合計778.9トンの焼夷弾を投下し、1.02平方マイル(2.64平方㌔)、建物密集地域の44%が破壊されたと記している。さらに、B29の「乗員は火災の真っ赤な輝きがほぼ200マイル(320km)にわたって見え、煙の柱が17000フィート(5200m)以上にまで達した」と猛火のすさまじさを記している。3月13~14日の大阪大空襲(第一次)も凄まじい空襲であったが、当時の人口283万人(昭和19年調べ)の大都市に対して合計1773トンの焼夷弾、かたや人口21万人(昭和19年調べ)の堺市に4割強の778トンもの焼夷弾の量。堺大空襲の濃密さが分かる。

(中略)

 この大空襲によって、2832人の死傷者、18446戸が焼失、70000人以上の罹災者を出した。

pp.211-12、強調引用者

 《単位人口あたりの投下焼夷弾数》という表現は出て来ないけれど、たぶんそのへん情報源がいろいろあるというわけでもないだろうから、出処は同じとみていいんぢゃないかしら。しかしそれにしても酷いもんだな。

 

 と、なんだかんだで、公衆トイレが堺観光を支えるほどの数になる日はずいぶん遠い未来なんだろうと思えて来ちゃった。う~ん。

 

南蛮船は入港しなかった―堺意外史

南蛮船は入港しなかった―堺意外史

 

 奇を衒ったふうに見えなくもないタイトルだけれど、著者は堺市博物館副館長も務めた方。怪しい話を大袈裟に語るタイプの本ぢゃないです。

 

Another Room もうひとつの部屋 (牛若丸叢書)

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  • 発売日: 2019/11/28
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*1:【引用者註】原文縦書き漢数字。以下同様。