2021年3月9、10日のSongs/声変わり

2021年3月9日

 この日聴いたYouTube上のPV、MV(2021/03/09 - YouTube)から。

 

Gareth Quinn Redmond - Laistigh Den Ghleo

 これもアーチストさんで聴いているというよりも、レーベルで聴いているという感じなのかな。

 WRWTFWW Recordsは、「We Release Whatever the Fuck We Want Records」の略ということらしい。たぶんその名前通り、出したい音楽をリリースするということなのだろう、ジャンルに囚われない過去の作品をホイホイとリリースしている*1スイスのレーベル。淡々と然るべきアーチストを選んでリリースを続けるさまは、余裕ありげでちょっとかっこいい。

 ずっと続くといいのだけれど。

Laistigh Den Ghleo

Laistigh Den Ghleo

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高田みどり - 鏡の向こう側

 元々はRVCから1983年にリリースされたアルバム。最近になって日本の80年代音楽が海外で注目されるきっかけになったアルバムだと評判の1枚*2YouTubeで公開された本アルバムの野良音源ヴィデオに大量のアクセスがあったことが契機となり、WRWTFWW Recordsからのリイシューが決まったとかなんとか。リイシューのリリースは2017年。実はWRWTFWW Recordsのことを知ったのもそこいらへんが話題になった頃だった。

 ミニマル・ミュージックらへんを聴きやすく、聴き込んでも聴き流してもいい感じに仕上げていて、なるほど80年代というところなのかな。当時は情報と、雑誌か何かで見かけた恐ろしく聡明そうで美しいイメージとしてしか高田みどりのことを知らなかったから、シッタカ自慢は何も出来ないのが無念である\(^o^)/

 「高田みどり」(Wikipedia)、少なくとも2015年には項目はなかった。御本家ウィキpのほうが先に項目が出来ていたように記憶している。ひょっとすると、日本語版に項目が出来たのも海外での評価があってのこと、なのかもしれない。

Through the Looking Glass

Through the Looking Glass

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2021年3月10日

 2021年3月10日にYouTubeで見聞きしたPV、MVから。

 

坂本龍一 - /05

 本日のプレイリストに入っているのは「A Flower Is Not a Flower」だけなのだけれど、せっかく収録アルバム全体のプレイリストが公開されているのだから、まぁ。

 「A Flower Is Not a Flower」はとても魅力的な作品だと思う。ギターで自分の弾ける範囲の編曲を試みたこともある。でも、魅力の核心かもしれない和音を活かした響き、自分の技量ではテンで再現も肉薄もできなくて諦めるしかなかった。

 YouTubeを見ていると*3、たとえば「A Flower is Not a Flower」(Kevin Nikolas、YouTube)みたいに、原曲にかなり肉薄した編曲もあったりする。たいていは、メロディ部分の音長を諦めるとか和音をさらに単純なものに置き換えるとかしちゃうものなのだけれど。和音を諦めちゃうと坂本作品の魅力はたいていの場合、大幅に削がれてしまう。メロディも、単純ではあるけれどしばしば非常に美しい。たとえば、「Mariana Melero - La Flor (a Flower Is Not a Flower) Video Oficial」(Acqua Records、YouTube)の女声カヴァーなど耳にすると、ピアノやギターによる演奏ではうっかり聴き落としていたかもしれないメロディの美しさにハッとさせられる。音長を諦めるには忍びない。

 そういうとこいらへん、全部まとめてギター1台に放り込むのは、僕の技量ぢゃダメダメですね\(^o^)/。

/05

/05

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にしな - centi

 流行する声質の変化みたいなものをここしばらくの若い女性ヴォーカルに感じる。これまでは、ひたすらきれいなソフトヴォイス的な声が一定の勢いを得ていたかと思うのだけれど、そうではない、あいみょんとかYOASOBIのヴォーカルとか、耳に引っかかるところのある声が徐々に広がってきているというのかなぁ。

 にしなについては例によってよく知らない。知らないけれど、そんなこんなで記憶に残るアーチストさん。すでに「にしな:初めてのワンマンライブ「hatsu」- 2021.6.25 | YouTube Music Weekend Edit」(nishina_official、YouTube)のような取り上げられ方がなされるような具合、もう先物買い自慢の時期は過ぎてしまったか。うーん、残念無念。もうせめて半年くらい早く取り上げていたら多少はエバれたかも、なのになぁ*4

 「centi」収録。

 「odds and ends」(nishina_official、YouTube)のプレイリストで試聴可。

 

*1:cf. WRWTFWW RecordsのYouTubeチャンネル、「videos」ページ

*2: 他にも日本人アーチストのリイシューを複数手がけている。前註のリンク先を参照。

*3: 「a flower is not a flower guitar」のYouTube検索結果

*4: ちなみに僕が初めて「にしな」という名前を意識したのは2020年10月7日午後1時頃。正直に云えば、このときは、歌詞や曲、ヴィデオ、それから何より編曲が気に入らなかったのだ。でも、声にはしっかりやられたのだった。>┼○ バタッ 

本日の備忘録/死者たちの群がるメタバース、あるいはまたまた降霊術2.0

 メタバース一般についてはさておき、ここで気になったのはヴィデオ40秒目少々過ぎあたりからの話。毎度おなじみの降霊術2.0ネタである。亡くなった娘をメタバース内の人物として再生するという話。《バーチャルな人格が3Dで完全に再現されAIで自動的に動くように》なるというのは、しかしどうなのだろう。「再現」に要する人格の個別を充分に確保できるのかどうか、大いに疑わしいのではないか。

 子どもの人格を再生するに足るデータなどあるのだろうか。仮にあらゆる言動の録音録画が残っていたとしても、生まれてたかだか10年かそこいらで子どもの潜在的な才能なんかを含むアレヤコレヤが、すべてデータの採れるような形でそこに表出され切ることなどあり得ないだろう。シミュレーションといってもずいぶん底の浅いものにしかならないのではないか。足りないところは、平均的な子どもの人格データに多少の個別データを埋め合わせして、テケトーなところでその子どもの人格が再現されたことにするといった程度を超えないのではないか。AIに学習されるデータが子どもの個別性を確保できるだけの質や量がどんなものでどのくらい必要なのか、全然わかんないけれど\(^o^)/、これから先3年から5年でそういうことが明らかになり蓄積されAIが学習できるだけのものになるのか。実際には、再現された子どもの個別性はメタバース内での生活が長くなればなるほど、平均化されどの子どもも見かけ以外は似たような性格や知的水準を獲得し、生きている現実のヒトとのコミュニケーションも紋切り型の範囲内に収まってしまうことになりはしないか。それで、親御さんは納得するかしら。仮に納得し、再現された子どもに愛着を感じたとして、その愛着はその子どもが健康に育ったときに感じるものと同じだろうか。生きているペットに対する愛情というよりも、アイボのような愛玩ロボットに向けられた愛情に似た感情になっているかもしれない。もちろん、それでヒトの慰めになるのであれば、悪いとは云えないかもしれないけれど。

 学習されるべきデータが少なければ、さらに「アトム問題」(で良かったっけ?)も生じるだろう。天馬博士は、亡くした自分の息子の似姿として鉄腕アトムを作ったのだが、ロボットであるアトムはヒトの子どもとは異なり成長しない。そのことに失望し怒り、アトムをサーカスに売り飛ばしてしまう。それと同じように、現実の子どものようには成長しない再現された子ども、あるいは成長すればするほど(データ不足のために)他の子どもと似たりよったりになってゆく子どもに失望し、メタバース内に子どもたちは見捨てられ放置されるというような事態が生じないだろうか。メタバース内にはそのあたりを処理するサーカスでも作りますか? もちろん、コンピュータ上のシミュレーションが放置されたからといって大した問題ではないといえばないかもしれない。しかし、そういう放置が両親にもたらす心理的な後ろめたさは案外大きなものになるかもしれない。あるいは、仮にAIの性能が充分に高くヒトの心理をも充分に学習再生できるとすれば、放置された子どもがメタバース内でグレちゃうとか、見捨てられた者同士がつるんで半グレ集団を作ったりして……といった事態も生じ得るのではないか。何なら「放置」のおかげでトラウマを負ったAIがやがて放置した両親に復讐しようとして……というようなホラー映画ネタのような事態は……さすがに生じないか\(^o^)/。

 まぁ、他にもいろいろ、生者と死者が共存するメタバースは面倒なことになりそうである。降霊術2.0まわりのアレコレはたぶんよくよく考えておいたほうがいいんぢゃないか。

 

 というようなあたりはテケトーな雑感を超えるような考察ではないけれど、それにしてもと思わずにはいられないのは、ヒトってどうしても死者を自分たちの目の前に召喚せずにはいられないものなのだなぁ、という感心というか呆れというか、なんともいえない気分になっちゃうな。そういう心理がヒト普遍なものであるからこそ、降霊術の類は大昔からそのインチキ臭さにもかかわらず滅びることがないのですね。うーん。

 その他、関連記事は、降霊術2.0 の検索結果あたりからどうぞ。

 

ふろく

 結局使わなかったネタなど。

 死者をメタバースで再生するというアイディアは、私たちが実はコンピュータ内のシミュレーションなのかどうかという問題と重ねて見られるものだ。たとえば、私たちは超高スペックなメタバース内で再生シミュレートされている死者なのである、という主張に対する完璧な反論は、たぶん結構むずかしい。

 

※ 元ヴィデオが閲覧不可になっちゃったので、再アップされたヴィデオに差し替えた(2021年12月18日午前3時5分)。

 化石そのものではなく周辺の土壌から化石のDNAが採取できるかもとか、AIで存在しうるアミノ酸だかタンパク質だかを案出するとか気になる話題に事欠かないのは、自然科学ともなると毎年のことか。

 直接関係する話題ではないのだけれど、それに現在のコンピュータ・パワーで可能なのかどうかもわかんないのだけれど、死者(生者であっても同じことだが)の遺伝系や代謝系をAI内で完全シミュレートすれば、エントリ本文で述べた隠れた才能の類に関するデータ不足を補う「再生」も可能になるのかもしれない。しかし、その場合でも、遺伝子レヴェルの分析からだけでは、子どもが亡くなった時点までに環境からどのような影響を受け何を学んだかがわからないだろう。だとすれば、やはり「再生」は中途半端であることを免れなくなる。結果として、短命に終わった子どもの「再生」よりも、たとえば瀬戸内寂聴のように比較的長寿といえる人生の中で、大量の言葉を残した者の「再生」のほうが容易く、しかも正確な「再生」が出来てしまうかもしれない。

 

 いろいろ考えているうちに思い出した1曲。これはやっぱりお盆のことがモチーフみたいなものになっているんぢゃないですかね。唐突に出て来る日本語のセリフを考えてもそうなのだけれど、ズッキーニをキュウリのデカいヤツだと受け止めてよければ、たぶん間違いないんぢゃないかな。「ズッキーニの夢(ナスの記憶)」というタイトル、ずいぶん奇妙な野菜の組み合わせとも見えるけれど、ズッキーニがキュウリの代用だと考えてよければ、これはやはり精霊馬と精霊牛のことでしょ。で、お盆みたいなものもトラディショナルな死者召喚の儀礼だといえばいえちゃうよね。

  Saya Grayについてはよく知らない。矢川俊介氏のツイートによれば「カナダ人と日本人のミックスのSSW」とのこと。うちでも2度ほど取り上げたことがある。万が一気にしていただけるようであれば、「Saya Gray」でブログ内検索してみてちょ。と、それはさておき、カナダにキュウリはないのだろうか。

 

 Saya Grayにはまだアルバムはないみたい。まとめて聴いてみたいところだけれど、現在のところコレと「SHALLOW (PPL SWIM IN SHALLOW WATER)」があるだけ。

 

2021年3月7、8日のSongs/恋せよ禁断の惑星

2021年3月7日

 2021年3月7日にYouTubeで見聞きしたMV類から。

 

Forbidden Planet - Louis & Bebe Barron

 2021年3月7日のプレイリスト中で取り上げたものとジャケ写が異なっているけれど、好みの問題でモノクロのこちらにしただけで、とくに意味はない。どちらもLouis & Bebe Barron - Topic - YouTubeで公開されているもので、さらに同内容ジャケ写違いのプレイリストがもう1つある。どういう事情でそうなっちゃったのかは知らない。LPがまだ隆盛を誇っていた時代には、諸般の事情でジャケット・デザインにヴァリエーションが生じちゃうなんてことはいくらでもあったものだ。そのへんの反映なんだろう。

 映画『禁断の惑星』サウンド・トラック。『禁断』の音楽については「『禁断の惑星』のサウンドトラック、いいぢゃないか。びっくり。」で触れた。出来のよろしくないエントリだけれど、最低限の情報は何とか取り上げている(んぢゃないかなぁ)。

 

Yvette Young - Simple and Clean

 Yvette Youngによる宇多田ヒカル「光」*1のカヴァー。タイトルも変わって歌詞が気になるという向きには、たぶん野良ヴィデオだけれど「Kingdom Hearts Ending LIVE Utada Hikaru Simple and Clean」(JohnnyCruzes、YouTube)がある。ゲームの主題歌なのだそうだけれど、そのへんは知らない。「キングダム ハーツ シリーズ」(Wikipedia)の「音楽」に宇多田起用について簡単な言及がある。へぇ~、そういう成立事情があったのかぁ、と今頃になって知るというテイタラク\(^o^)/。

 Yvette Youngについては、以前ソロ・アルバムを紹介したことがあったはずなのだけれど、未復旧。通常の意味でのオフィシャル・サイトは見当たらない。とりあえず「Yvette Young」(Wikipedia)を当たられたし。後は最初期のソロ・アルバム、『Acoustics - EP』*2、昨年リリースされたCovet*3の『technicolor』*4を聴いておけば、一応の傾向と対策を知ることができる(かな?)。その他は各人でググるべし(google:Yvette Young)。

 YouTube Yvette Youngチャンネルの「Upload」ページでは、12年前からの彼女のプレイが聴き通せるようになっている。過去から順番に視聴してゆくと、独りのアーチストさんの成長過程が辿れるという、ネット以外ではちょっと味わえない愉しみを持つこともできる。

Technicolor

Technicolor

  • アーティスト:Covet
  • Triple Crown
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 「Simple and Clean」のカヴァーを収録したアルバムは出ていない(と思う)。というわけで、これはCovet、現在のところの最新アルバム。邦盤も出てるのかぁ。視聴可能なプレイリストについては、上記記事を読み直すべし。

 

2021年3月8日

 3月8日にYouTubeで見聞きしたPV・MV類(「2021/03/08」YouTube)から。

 

Neno U. - Excerpt Cabaret Beograd

 例によって全然知らないアーチストさんであるばかりか、再生ページにある概説も短くて《Obscure Yugoslav Musique Concrete stuff from lost 70′s RTB experimental tapes.》とあるだけだし、ググっても解説として引けるような情報には出会えないみたいだ\(^o^)/。ついでにアマゾンで検索しても音源にたどりつけもしない。いやはや、やれやれだ。

 Dronemf S.というYouTubeチャンネルが紹介する、ユーゴスラビアを中心とした東欧その他の、パンクとかノイズとかイクスペリメンタルとか風の、ポップスなりロックなりの主流からは如何にも離れたところで生み出された作品群は、そういう物珍しさからだけでも面白く聴こえる。ものすごい音楽ばかりだとはさすがに云えないけれど、ときどきくらいには、他の音楽の聴き方も少し変えてくれるような音に出会えたかもしれないという気分になることくらいはある。

 ちゃんとした音源の落手は困難を極めそうだけれど、多くの場合、YouTubeに上がっている音質から察するに、入手のための苦労が報われない体のものぢゃないかしら? すっぱい葡萄っぽい云い方ですかね?

 

Solo - Peter Finger

 Peter Finger*5は、ドイツのギタリスト。プレイがうまいというばかりではなく、曲作りもていねいでしっかりしたものになっている。たとえば、このプレイリスト2曲目Solo Tripなど、その好例だろう。ここではミニマル・ミュージックの複数のリズムの重なり合いとズレみたいなものが、部分的にではあるけれど、とても気持ちよく作り込まれている。似たようなミニマルへのアプローチは、マイケル・ヘッジス(Michael Hedges)やマイク・ドーズ(Mike Dawes)にもあるけれど、ここまでシリアスな文脈でのミニマルへの接近はないでしょ? そうでもないですかね? うーん。

 僕自身80年代と90年代のごく初期のアルバムしか耳にしていないからエラそうなことはいえないのだけれど、それでももちっと知名度が上がっていいギタリストさんだと思うなぁ。

Solo

Solo

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 CDページにリンクしてあるのだけれど、CDはマケプレものしかない。やけに安いのとずいぶん高いのとに二極分化していて選ぶのがむずかしいところ。リンク先からたどれるMP3版にしておくのが無難な選択になるのかなぁ。うーん。

 

夜の虹-アマイワナ

 せっかく歌詞の仕上がりがいいのに、ヴィデオは歌詞に対して説明過剰に見え、全体としてはいささか興醒めなんぢゃないかという気がしないでもないのだけれど、歌のほうの出来がいいんだから、ま、いっか。とにかく、泣ける(T_T)。

恋せよ惑星

恋せよ惑星

  • MIMICOS RECORDS
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 「夜の虹」収録。「2021年2月15、16日のSongs/そういえば、『恋する惑星』なんていう映画もあったっけか。」ではアナログしかアマゾンには置いていない、みたいなことを書いてしまったけれど、事実誤認だったみたい。ごめんなさいm(_ _)m

 

*1: リンク先はYouTube、Hikaru Utadaの認証マーク付チャンネルで公開されているヴィデオ。

*2: リンク先はYouTube、Yvette Young - Topicのプレイリスト。

*3:cf. 「Yvette Young」(Wikipedia)

*4: リンク先はYouTube、Triple Crown Recordsチャンネルから公開されているプレイリスト。

*5: リンク先はオフィシャル・サイト。

本日の備忘録/ロボットにとって顔とは何か? その2

 「本日の備忘録/Over the Uncanny Valley」の補遺で取り上げたReutersのヴィデオの日本語版が7日公開されたのであげておく。

 先のエントリに追加する形でも良かったのだろうけれど、CEOの話について考えているうちに、また余計なアブクの考が湧いてきたので別立ての記事とすることにした。

 気にかかったのは、アメカ(Ameca)のデザインに際して、《性別や人種にとらわれないものを目指した》という言葉だ。なるほど、2014年、日本の人工知能学会誌表紙に、女性型アンドロイドが箒を手にしていたことが問題視された騒動みたいなもの*1を考えると、人間的な性別や人種を想起させるデザインはマズいものになる可能性は高いに違いない。たとえば、白人家庭で用いられる家事に当たるロボットが、黒人、あるいは黄色人種の女性をかたどったものであった場合、強い批判を招くだろうことは想像に難くない。

 しかしそのように考えるのであれば、ヒトビトの生活の中に入ってゆくロボットに、本当に人間らしい顔面が必要なのかどうかは改めて考え直されていいのではないかというふうにも思えて来る。

 「改めて」というのは、このあたりについては一度、「本日の備忘録/ロボットにとって顔とは何か?」でも触れたことがあるからである。問題は2点。一つには顔面の外装がいかに精緻に出来上がっていたとしても、その精緻に見合った顔面の制御が現時点ではできないのではないか、二つには外面の精緻に見合った内面の精緻を、そもそも現在の人工知能は持っていないのではないかという、主としてAIロボット側の技術的な不足があると見ていたわけだ。

 そういう観点からすれば、AIロボットの表情は、少なくともさしあたり、リアルなヒトの表情の再現よりも、確実な記号的伝達機能に重きを置くべきだと考えられるのではないか、みたいなことをうだうだと読みづらい文章を綴ったのだった。

 で、「改めて」考えてみると、アメカのおかげで、顔の表情の制御技術はひょっとするとほとんど解決してしまったかもしれないことが大きな変化として挙げられる。その点では、AIロボットの表情の精緻化へと技術的な進歩があったといえるのかもしれない。けれど、同時に先のエントリでは顔面そのもののデザインが持つ社会的な意味については考えていなかったことが明らかになったわけだ。不気味の谷を超えてヒトへの類似の度合いを高めてゆくということは、ヒトの顔貌かおかたちが持つ社会的な意味の中にロボットの顔貌も参入していくことになるということであるわけだ。これは結構微妙な問題かもしれない。通常のヒトの生活に入り込むロボットにとって、将来もヒトに精巧に似せた顔を持たないほうが面倒な問題は少なかろうということになるのかもしれない。

 とするなら、やっぱりマンガ的な記号表現をも含む表情表現や、単純化されたJiboの顔面表現は優れたものだってということになりやしないか*2

 

 たまたま目にした「手ぶらで買い物 大阪・ミナミで“顔パス”実験」(テレビ大阪ニュース、YouTube)*3で思い出したのだが、昨年末の報道に次のようなものがあったのだ。

 本人そっくりマスクを使えば「顔パス」を突破できたりやしないか*4というような、例によっておバカな思いつきによる想起に過ぎない。

 そんなことよりも、このそっくりマスクをアメカの顔面の外装に使ってみてはどうかというような、さらなるおバカな思いつきを得たのである\(^o^)/。そんなことをすれば、ロボットの顔貌のデザインとして問題を起こすこと請け合いだと思いもする。けれど、使い方次第によっては問題は最小限にとどめつつも、1500万円以上もの出費を、ヒトにホイホイなさしめるには、実は手っ取り早い方途になるのではないか。

 ここで引っ張り出してみたいのが「降霊術2.0」ネタである*5。つまり、すでに亡くなったヒトの顔をインプリメントしたAIロボットの可能性である。生前の本人の話したり書いたりした言葉やその折々の仕草を学習させたAIとそっくりマスクを装着したアメカタイプのロボットの組み合わせだ。

 著名な大企業の創業者や経営者、社会的に発言を求められることの多い文化人のことを思い浮かべてみるといい。そういう人物の考え方を本人の口から聴いてみたいと考えるヒトも少なくはないだろう。たとえば、先日偲ぶ会の報道のあった瀬戸内寂聴*6。生前の言葉を残した書籍類や映像類も多く、ファン、あるいは檀家も結構な数に上るように想像される。とすれば、残された言葉やしぐさを学習したAIも比較的には作りやすいかもしれない。そういうAIを備えそっくりマスクを装着したアメカが作られたなら、多くのヒトを惹きつけることができるのではないか。説法なり人生相談なりができるとするなら、それなりのヒトビトに受け容れられたりしないだろうか。そういうロボットが同宗派宗旨の寺々に配備されるならば、それらの財政を改善する一助となる可能性だってあるかもしれない。

 もちろん、「本日の備忘録/VRと、想像力とかエンパシーとか」冒頭で紹介したような「VR」の活用によってほぼ同じようなことが出来ないわけではない。しかし、あの場合、語り手を作るためにコピー元とでもいうべき生きているヒトが必要だった。亡くなった後から、ということになると、映像によってかロボットによってか、ということになる。映像によってということになれば、「本日の備忘録/降霊術2.0、その後」で紹介したような技術を使うことになり、ロボットによってということになれば、そっくりマスクを装着したアメカを使うことになるという具合だ。初期コストやメンテナンスは、アメカのほうがずいぶん高くツキそうだが、発揮する心理的な効果となるとどうだろうか。

 そこいらへん、比較したデータを知らないのだけれど、たとえば「本日の備忘録/バベルの仏塔」で紹介したサント(SanTo)やマインダーという観世音菩薩ロボのような、ヒューマノイドロボットがすでに用いられていて話題を呼んでいることが思い起こされる。そういうところで、映像による説法する者や仏の提示ではなくロボットが採用されたというあたり、少なくとも宗教の側からはロボットのほうに優れた成果*7を期待しているということかもしれない。ひょっとすると期待するだけのデータもすでに採れていたりするかもしれない。もしそうであるならば……。

 

 で。

 AIロボットの顔がどのようなものであるべきかは、その用途によって異なってくるというのが、今回の結論ということになるのかな。ちょっとあんまりに当たり前過ぎちゃうな\(^o^)/。

 

 何にしても、故人が自分の擬似的な複製製作を望んでいるかどうかという大問題があるし、僕自身には試行するだけの素養も資本もない以上、こうしたアレコレはアブクの考の域を出ないに決まっているんだけれどぉ\(^o^)/

 

 とそんなこんなで、アメカを眺めながら、降霊術2.0の可能性の高まりをしみじみ感じ入ったりする年の瀬でございますm(_ _)m。

 

立ち読み課題図書、その他

 そうなんだよなぁ、わかんないんだよなぁ~。

 最近では図鑑で確認するより、写真を撮って適当なところにアップしてGoogleの画像検索に頼るという、なんだかひどく面倒臭い方法に頼ることが増えて来ちゃった気がする。ハンディな図鑑でホイホイ調べられればいいんだがなぁ。

 

 20年くらい前に出ていてくれたらなぁ。大昔からの常連さんの中には、ひと頃の僕の関心事に重なるテーマであることを覚えてくださっている方もいらっしゃるかしら? グラフの起源問題あたり。

 懐具合と相談の上、これは買いですかね。うーん。

 

 読まなきゃ読まなきゃと思いつつ、はや一年。シリーズ第2弾『まんが訳 稲生物怪録』(ちくま新書)が出ちゃったというテイタラク\(^o^)/。